Episode01Heroine's journey

第1子誕生とリープの瞬間

価値観が
折り
合わない

人生史上株価最安値の時期

今から10年ほど前になります。私は結婚して東京から夫の実家のある東北に移り住みました。夫は農業とコンサルティングなどの仕事をしていて、結婚と同時に夫の実家に義理のお母さんと住むことになりました。その山間の集落は2代さかのぼると全てが親戚と言ってもいいぐらいの場所です。私も屋号「よんぞ」のお母さんということで、「よんぞのかぁ」と呼ばれていました。

結婚してすぐに妊娠をしたのですが、妊娠期間とその地域に住む中でいろいろと大変な状況があり、にっちもさっちも行かなくなりました。東京で独身時代に行ってきたことや習慣が、その地域や環境では全部地雷を踏んでいくような感じで、人生史上株価最安値と言った感じでした。(苦笑)良し悪しというよりも価値観が全く折り合わないような状況でした。

そのような中、幸いなことに、里帰り出産をすることができました。このまま自分の実家にいたい気持ちもありましたが、夫の希望もあり、出産後しばらくして夫の実家に戻ります。ところが、出産を経ても状況は変わらず、状況はさらに悪くなるばかりでした。

正気の沙汰
ではない
選択

自分の中にとどめきれない大きな思い

その時、アメリカから1通のメールが届きます。それは、私が2006年に学んでいたコーアクティブ・リーダーシップ・プログラム®のプログラムリーダーの選抜オーディションの通知でした。世界中で行われているこのプログラムは、10カ月間に4回行われるリトリートと呼ばれる合宿(6日間ほどの宿泊型研修)をメインにしたリーダーシップのトレーニングです。初めての出産から1年ちょっと、赤ちゃんの子育て、そして夫の実家でのままならない状況、仕事も再開し始めていましたが、このプログラムのリーダーオーディションに応募するというのは正気の沙汰ではない選択です。

普通であれば、スルーするメールですが、そのメールを読んだ時、私がこのにっちもさっちもいかない状況を変えていくには、あの時に学んだことを総動員する必要があり、このオーディションはその機会なんだと直感的に感じました。その思いは自分の中にとどめるにはとどめきれない大きなものでした。
幸いにして、夫は私の仕事や挑戦を全面的に応援してくれたので、相談をして、その年(2012年)の9月にカリフォルニアで開催されるオーディションに応募することにしました。

マタニティ
リープの
瞬間

子どもを見てくれる人がいない

その間も夫の実家では多くの人を巻き込み、内戦のような状況が続きます。私の両親に相談した時、その状況を聞くに聞きかね、子供も含めて戻ってきた方がいいということで、私は子供と一緒に自分の実家に戻ります。

ただ、もうオーディションも1ヶ月に迫った時の選択であり、私の両親も仕事をしていたため、私がアメリカに行っている間に子供をみてくれる人がいません。まさにここが私のマタニティリープの瞬間だったと思います。

私の実家のある関東近県から子供を連れて羽田空港へ行き、夫の待つ東北の空港まで行って、空港で長男を引き渡します。そしてまさに乗ってきたその飛行機に乗って、羽田に戻りました。キャビンアテンダントさんには不思議に思われたと思います。その後、東京で夜仕事があったため、東京のオフィスで仕事をし、今度は羽田空港の国際線ターミナルに直行し、深夜便でアメリカへ飛び、オーディションを受けました。(ちなみに私は留学をしたことも、海外に住んだこともないので、英語は全くの受験英語です。)

オーディション後は、サンフランシスコ国際空港から羽田に飛び、羽田に一泊し、翌朝第一便の国内線で東北に飛び、空港で夫から子供を受け取って、また数十分後、同じ飛行機に乗って羽田に戻り、私の実家まで戻ってきました。

この時子供は1歳半でまだ授乳をしていました。私のいない間、ミルクをあげる夫も、子供も大変だったのではないかと思います。そして私も搾乳をしながら、オーディションに参加していました。この後、今に至るまでの8年間に5回ほどアメリカに出張しているのですが、毎回なぜか搾乳しています。(長男も二男も2歳半まで授乳していたからですね。そして一番下の1歳の娘もまだ授乳中です。)

出産を
人生の糧に

一歩踏み出すと仲間やサポートが現れる

このことから、出産によって自分のやりたいことを抑えるのではなく、むしろ人生の糧にして、大きく跳躍するという、マタニティリープを経験しました。おそらく、それは私だけではなく、多くの人がこうした経験を経て、大きなチャレンジや目指す方向に舵を切っているのだと思います。

それはとても個人的な経験で、一度であれば、ラッキーだったと通り過ぎてしまうタイプのものだと思います。私は3回の出産、そしてその間に流産も経験しているので、そこに共通する質感や経験を意識的に活かしてその流れに乗ることの大切さを実感し、言葉にすることができているのだと思います。

困難な状況がある時に、外部からのノックがあること。あらがいがたい感覚に従って、それに一歩踏み出すと仲間やサポートが現れる。願ったことが形になり、これまでのやり方ではない方法が、自分の人生の一部となる。気がつくとひと回り大きなことができていた。それが周囲や家族にとっても価値のあることにつながっていく。この一連の流れは、神話学者のジョーゼフ・キャンベルのヒーローズ・ジャーニーにも結びつくコンセプトであり、人生の旅のシナリオなのかもしれません。

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Heroine's journey

第1子誕生と
リープの瞬間

初めての出産から1年、にっちもさっちもいかない状況から正気の沙汰ではない選択

Living in chaos

葛藤や絶望を経て
第2子誕生

絶望を希望に変える、ぐちゃぐちゃなカオスの中から新しい息吹が生まれる

Wind for leap

第3子誕生と
2つの法則

8歳、4歳の男の子、1歳にならない赤ちゃんを日本に置いて、10日間も日本を離れる出張